2017年10月10日火曜日

虹の国の手術室は、やはり虹でした

 南アフリカって、どんな国? という問いに、よく聞かれる答えに

「虹の国だよ」

というのがあります。

 虹の国、Rainbow Nation、とは、アパルトヘイト終了後の全人種参加の総選挙後、大統領に就任したネルソン・マンデラが1994年5月10日の就任演説で使った言葉です。そうしたことから、広く、この「虹の国」が南アフリカを象徴する表現として使われています。

 We enter into a covenant that we shall build the society in which all South Africans, both black and white, will be able to walk tall, without any fear in their hearts, assured of their inalienable right to human dignity - a rainbow nation at peace with itself and the world.
私たちはひとつの契約を結んだ。黒人も白人も全ての南アフリカ人が、人間の尊厳という奪うことのできない権利が守られ、心の中に何の恐れも抱かずに、堂々と生きていける社会、つまり平和な虹の国を作るという契約を自分たち自身、そして世界と結んだのだ。



演説全文はこちらに(ペンシルバニア大学アフリカ学センター)

 私が「虹の国」を実感したのは、南アフリカに住んで2年近くたった、2015年1月のときでした。

 妻が出産で、入院したときのことです。いろいろあって、最終的に帝王切開になったのですが、私も手術室に入って立ち会うことができました。

 手術室に入る前、麻酔医が「人によっては血を見るのが怖いから、子どもを取り上げるときに入る、っていう人もいるけど、どうする?」と聞かれたのですが、「別に最初からでいいですよ」と一緒に手術室に入りました。

 帝王切開自体は滞りなく終わって、娘も最初「?」でしたがすぐに泣いて、看護師さんたちに促されて記念撮影もしました。看護師さんが「マスクを外さないと、顔が写らないじゃない」と、平気でマスクを外させたのにはびっくりしました。その間も写真の向こうでは、縫合が続いていたりするし。。。

 それはさておいて、何に「虹」を感じたかというと、室内の人種構成。

執刀する産婦人科医 インド系
麻酔医 アラブ系
執刀医の横につく助手 白人
脇でスタンバイしている小児科医 黒人
後ろで色々動く看護師 黒人
妊婦 タイ人
隅っこでカメラを持つ夫 日本人

 もちろん、部屋全体の写真を撮っている余裕はないので、その場面の写真はないのですが、「ああ、南アフリカで出産するんだ」という実感が湧いた瞬間でした。

 ちなみに病院は私立の大手病院チェーン「ネットケア」のひとつ、ネットケア・リンクウッド病院(下写真)。

 その後、娘は、別のネットケア系列の病院で、手術を受けることになるのですが、小児病棟の看護助手は片足に障害がありましたし、病院の受付も難聴の人でした。そういう障害がある人が、私立の医療機関で堂々と働くのも、「虹」には人種の違いだけではなくて、障害の有無も含まれる、という社会のあり方の現れなのだと思います。

2017年10月6日金曜日

南アフリカに中古車を輸出する6つのステップ(2)

 前回は、南アフリカ政府が輸入してもいいよ、と言ってくれる中古車の種類について書きました。

南アフリカに中古車を輸出する6つのステップ(1)

 前回書き忘れたことがひとつあります。それは、ITACの寄贈車両に関する質問表では、寄贈される中古車は、「製造後10年以内」でないといけない、とされている点です。

 この点が、私のプロジェクトでもネックになりました。10年経っていないリフト車を寄贈してくれる団体さんや施設さんはなかなか、というか、まずありません。

 そこで、ITAC(南アフリカ国際貿易管理委員会)に相談してみました。最初は「10年」「10年」と連呼していたのですが、事情を話すと、最終的には、前回書いたように
  • 南ア基準に適合しているかどうかの審査は、ITACではなくて、NRCS(南アフリカ国家強制基準監督局)が行うから、そっちに行って聞いてみてほしい
という答えが返ってきました。

 あれ? あなたのガイドラインには太字でダメと書いてあったのに、例外があったんですね?

 なにはともあれ、NRCSがいいと言えばいいらしいです。結果から言うと、製造後14年の車を無事に輸入できました(今後、これダメだから捨てて、って言われる可能性はゼロではありませんが、常識的に考えてありえないでしょう)。

 車両登録とかを専門に請け負う業者さんとも話をしたのですが、トヨタとか日産とかいった日本のメーカーで、日本の車検をきちんとクリアしている車は、心配しなくていいと言っていました。そうでない、「これはスクラップですか?」とか、「どこから来たの?」とか言いたくなるような車が問題になるのだとか。

 …さて、今回のテーマです。

 ※改めてお断りしておきますが、以下は、私の経験(2016-17年段階の身体障害者用車両の寄付)に基づいたものです。中古車を南アフリカに輸出する際は、必ず、然るべきところに確かめながら手続きを進めてください。ルールはよく変わりますし、担当者によって運用が異なることも日常茶飯事です。
  1. 南アフリカでは中古車の輸入は原則認められていません
  2. 日本で必要な書類を整えましょう
  3. 南アフリカで書類を整えて、申請準備はいいですか?
  4. 申請にもいろんな段階があります
  5. 輸入許可が降りたら、さあ、日本を出港です
  6. 南アフリカに入港したら、終わり、ではありません

2. 日本で必要な書類を整えよう

 実際のところ、何が必要なのかは、その時々によって異なるようです。私の場合は、輸入許可の申請に際して、以下の書類が必要でした(と言っても、私が揃えたわけではなくて、ヒューマンケア協会さんが揃えてくださったのですが)。

  • 日本の車検証とその翻訳
  • 車両の譲渡証明書とその翻訳
  • 寄贈する旨を示すレター
 
 車検証から見ていきましょう。
 
 まず、輸出入を管理するITACは「Copy of Registration for Roadworthy Purposes in Country of Origin」つまり、輸出側の国で路上を走るのに有効な登録証が必要であると言っています。車検証とは言っていません(南アフリカには車検制度がありません)が、車検証が該当するようです。

 当たり前といえば当たり前ですが、「もう日本じゃ走らないんだから」と廃車したり、車検を切らしたまま放置してはいけないということですね。廃車の手続は輸出直前に業者さんが行います。

 基準適合を審査するNRCSは「メーカーが南アフリカもしくはEEC、ECE法規に準拠している旨のレターを出すか、その旨が記された証明書」を求めています。


 最初これを読んだとき、いきなり心が折れそうになりました。日本でもメーカーに聞いてもらいましたが、もちろん、中古車の品質保証、それも輸出用のレターなんて書くはずはありません。

 仕方なく、NRCSに車検証の翻訳を見せて相談すると、「スペックが書いてあるんでしょ。それがほしい」と一言。ということで、案外あっさりと車検証の翻訳が通用しました。

泣きながら寝る人のイラスト(男性)
1人で悩まずに相手に相談すると、意外と解決法があります

 次に、車両の譲渡証明書です。


 これも、NRCSでは「購入の証明もしくは所有権の証明を、インボイス、船荷証券、航空運送状の形」で示すこととなっています。要は、盗品じゃないことを証明する趣旨のようです。

 しかし、私たちがいただいた車両は、無償で譲渡、それも普通に運転して持ってきているので、いずれの書類も示すことができません。そこで、所有者の住所や印鑑のある「譲渡証明書」を英訳することにしました。

 最後に、寄贈であることを示すレターですが、これは書式自由です。ただ、誰が誰に、何を何の目的で渡すかということと、商用・販売目的でないことを書くことが求められます。まあ、常識的なところです。

 ここまで、書類を揃えましたが、車検証と譲渡証明の翻訳は「certify」つまり認証されていないといけないとされています。「俺が翻訳しといたからさあ」では通用しないわけです。
凄い怒る人のイラスト(男性)
せっかく翻訳したのにいいい
日本の場合、大雑把に言って公文書は外務省、私文書は公証役場で認証されます。車検証自体は公文書にあたると推察されますが、翻訳した英文は公文書ではありません。なので、公証役場に行くのが正解のようです。

 しかし、認証、といっても「この翻訳は正しいです」という証明をしてくれるわけではありません。簡単に言うと「この文書の署名は、文書に書いてある名義人が確かにしましたよ」という証明をしてくれます。

 私たちの場合どうしたか、というと、翻訳してくださった方が「私がこれを誠実に翻訳しました」という内容の宣言文を英語で書いて、それを公証人の前で署名して、公証人が認証する、という形を取りました。その宣言文には、日本語原文と英訳が添付の形でひっつきます。

宣言書のサンプルがダウンロードできます(京橋公証役場)

 正直なところ、これが「正解」なのかどうかわかりません(翻訳そのものが認証されているわけではない)。もっといい方法があるのかもしれません。

 しかし、南アフリカ側も「certifyしろ」以上のことは求めていないので、本当のところは、よくわかりません。とにかく、これで輸入許可が降りたのは事実です。

 端折ったつもりですが、結構長くなりましたね。

 改めてこうやって書き起こしてみると、諦めずに先方の機関と交渉する、事情を説明してどうすればいいかを尋ねて、解決方法を探る、ということがとても大切ということが分かります。

 3.南アフリカ側で整える書類 に続く。こちらはそんなに面倒ではありません。
 

2017年10月2日月曜日

南アフリカに中古車を輸出する6つのステップ(1)

 あざとく、ノウハウ調にタイトルを書いてみました。

 が、やはりマニアックなので、これをグーグルで拾う人もいないでしょう(笑)

 日本からの視点で、「輸出」と書きましたが、輸出はそんなに難しくありません。業者を頼んで、お金を払ったらやってくれます。

 問題は、南アで「輸入」する方です。これが準備できていないと、業者も日本から運んでくれません。輸入できずにごみになるものを船に積んでくれるようなお人好しはいないでしょう。

船のキャラクター
中古車は運ぶけど、ゴミは運ばないよ

 ということで、ここからは、南アフリカの中古車輸入手続について書いていきます。

※予め断っておきますが、以下は、私の経験(2016-17年段階の身体障害者用車両の寄付)に基づいたものです。中古車を南アフリカに輸出する際は、必ず、然るべきところに確かめながら手続きを進めてください。ルールはよく変わりますし、担当者によって運用が異なることも日常茶飯事です。
  1. 南アフリカでは中古車の輸入は原則認められていません
  2. 日本で必要な書類を整えましょう
  3. 南アフリカで書類を整えて、申請準備はいいですか?
  4. 申請にもいろんな段階があります
  5. 輸入許可が降りたら、さあ、日本を出港です
  6. 南アフリカに入港したら、終わり、ではありません

1.南アフリカでは中古車輸入はできるの?

 南アフリカでは、安全性確保や現地の自動車産業保護の観点から、商用・再販目的の中古車の輸入を禁止しています。

 あ、じゃあ、無理じゃん。そう思ったあなた。例外はどこにでもあるものです。

 公式に発表されている「例外」はこちらです。

(個人で使用する車両)
  • 移住者(永住権保持者)が個人用の乗用車や小型トラックを輸入する場合
  • 南アフリカ居住者・国籍保有者が海外で使っていた乗用車や小型トラックを、帰国時に持ち帰る場合
  • 身体障害者用の車両で、使用する者に合わせて特別にデザインされたものを輸入する場合
  • 相続した車両を輸入する場合
  • 40年以上経過したビンテージ・カーや、国際的に認知されているコレクションとしての車両を輸入する場合
  • レーシングカーをレーサーが輸入する場合
(その他の車両)
  • 南アフリカで入手できない、特別な仕様の車両(クレーンが例示されています)を輸入する場合
 まずは、この中のどれに当てはまるかを考えましょう。しかし、自分で「これかな?」と思っても、勝手に思い込んで準備を始めてしまわないことが大切です。

 所管している役所は、ITAC(International Trade Administration Commission: 南アフリカ国際貿易管理委員会)になります。まずは、ここに聞きましょう。

中古自動車の現地輸入規則および留意点(JETRO)
ITAC: IE Guidelines Importation of Used or Second-hand Vehicles (2015年2月版)

 私の場合は、もちろん「身体障害者用の車両」に当てはまるだろうと考えて、ITACの担当者にメールしました。担当者間をたらい回しにされて、やっとたどり着いた答えが、
  • 身体障害者向けの車両を輸入する、というのはわかった。車両がすでに改造されている(リフトが付いている)のもわかった。
  • しかし、ITACでは車両が南アフリカの基準に適合しているかも、その車が身体障害者向けかどうかも、判断できない
  • 基準適合については、NRCS(National Regulator for Compulsory Specifications: 国家強制基準監督局)の審査を受けて、承認状をもらってこないといけない
  • 身体障害者向けかどうかについては、NCPPDSA(National Council on Persons with Physical Disabilities South Africa: 南アフリカ身体障害者協議会)に問い合わせてほしい

 …要するに、最初に別の所行ってきてくれ、ということですね。はい。

 NRCSは、ウェブサイトから、NCPPDSAは担当の方から要綱をいただいて、さて、書類の準備にかかりはじめたわけですが、実は、この段階でのボタンの掛け違いが、1年後、土壇場でドラマを生むことになるのです。

 いったい、何を間違えていたのか?



 2. 日本で必要な書類を整えましょう に続く
 

※ これも、前提としておかねばならないことですが、南アフリカの役所とのやり取りは、我慢強さと押しの強さが必要です。何度もメールを再送する必要があります。電話しても出ないとか、いないとか、下手をするとガチャ切りされます。
 
 一番いいのは、その担当者の携帯電話の番号をもらうことです(そこにたどり着くまでが面倒なのですが)。他にも、アポ無しで押しかけて粘るとか、連日リマインドのメールを、なるべく多く(できれば担当者の上司)のccを付けて送るとか(嫌がらせ?)、いろいろと技(力押し?)が必要になります。

 あと、不在中引き継ぐ、ということがあまりないようで、突如、書類の入ったキャビネットの鍵を持ったまま入院されてしまった、ということもありました。そうなると「お大事に」と待つしかありません。

 他にも、クリスマス、イースターなどの長期休暇や、やっと出てきた書類に誤植があって使えないとか、罠がたくさん待ち構えているのが、南アフリカの役所です。

  


2017年9月30日土曜日

レソト政府、障害者権利法作成に向けてソウェト訪問(2017.9.20)

 南アフリカの隣国で、レソト王国という国があります。

 南アフリカにぐるり360度囲まれているのを、地図で見たことがある方もいらっしゃるでしょう。人口220万人ほどの、山岳地の小さな国で、最も低いところでも標高1400メートルあります。冬は雪も降ります。

360度、南アフリカ共和国に囲まれています
小さいですが、山がちなので、移動は時間がかかります

 ヨハネスブルグからは飛行機も1日3便ほど出ていますが、車で行くのが圧倒的に安くてポピュラー。5時間弱で首都のマセルとの国境に到着します。ちなみに私は真夏の12月に車で行きました。

観光の見どころは道祖神さんのサイトをご覧ください

 国境通過も、地元の人はお買い物気分で、手に一杯荷物を抱えて通っていきます。車で通過する人は、レソト側のイミグレーションはドライブスルー、南ア側は一旦車を降りないといけません。これを知らないで直接ドライブスルーまで行ってしまうと、お前は出国手続きをしないで橋を渡ったから違法だなんだと揉める(賄賂をねだられる)ので、注意が必要です。

 のんびりとした、良い田舎です。マスの養殖も盛んで、ゲストハウスでは、マスを食べさせてくれました(写真は最後)。ゲストハウスのおばさんは、「日本にマスを輸出している」と言っていて、「?」でしたが、外務省のサイトを見ると、たしかにそうらしいです。

日本へのレソトからの輸入額3900万円の主要品目は衣類とマス(外務省)

 それはさておき…

 こんなレソトで、今、障害者権利法と呼ばれる法案の策定が進んでいます。

 昨年レソトに行ったときには、レソト障害者連合(LNFOD)の方などにもお会いしたのですが、障害者団体側からは障害者支援のサービスについては障害者団体に丸投げになっていて、きちんと制度化されるめどが経っていないなど、法案を批判する声が強く上がっていました。

 LNFODのサイト(英語)

 今回、レソト社会開発省の方々が、法案作成のための調査をするために、南アフリカを3日間駆け足で訪問しました。2日目の9月20日、1時間ほどでしたが、ソウェト自立生活センターにもいらっしゃいました。

 団長は、障害サービス課長のマシャパネ・マカコレさん。彼女は2016年度のJICA課題別研修「アフリカ地域 障害者の自立とメインストリーミング」で、日本とタイにいらしています。私もタイでお会いしました。

 ソウェト自立生活センターでは、マネージャーのムジ・ンコシと、ハウテン州社会開発局障害担当マリスカ・ヴァン・デ・ヴァルト副課長の2人が対応しました。

 ムジは2013年度、マリスカさんは2016年度のJICA課題別研修参加者です。レソトのみなさんが到着するのが遅れている間、3人で日本やタイの思い出話に花が咲きました。

 特にマリスカさんは、レソトのマカコレ課長と同期。久しぶりの再会となりました。

マカコレ課長(左)、マリスカ副課長(右)の同窓会
一行が遅れてきたこともあり、マリスカさんはすぐに中座

  さて、視察の方は、といえば、センターのスタッフを簡単に紹介した後、マネージャーのムジからセンターの経緯やサービスの現状についてブリーフィングしました。
 
自立生活センターについてブリーフィングするムジ
 レソトの障害者権利法についても聞いてみたのですが、まだ、固まっていないようです。自立生活については、重要性は認識しているようですが、モデルが国内にないことから予算化しにくいと言っていました(私の心のなかでは、まずモデルに予算つけないといけないんじゃないかとつぶやいてしまいましたが)。

 こちらからは、障害者権利条約19条に関する一般的意見といった国際的な動向を説明したり、レソトから何人も日本・タイに研修に来ているのだから、そうした人たちとも連携を取ってモデルづくりをしてはどうかと提案したりしました。

 さて、最後に、レソトに行ったときの風景写真を貼っておきます。LNFODの農村部の障害児世帯の家庭訪問に同行したときに撮ったものです。結構ハードな旅でした。










マスは蒸して出てきました。
大雑把な料理でしたがおいしかったですよ。

 


2017年9月28日木曜日

中古リフト付きバンが日本から到着!!

 待ちに待ったリフト付きバンが、ようやく日本から届きました。

 9月27日水曜日の早朝、電話で起こされました。電話の主は、レメロス自立生活センターのピート・デ・ヴィット。朝6時半に予定より1日遅れてリフト車が到着したとの連絡でした。

 船で横浜から1ヶ月。ダーバン到着後、通関に2週間ほどかかりました。通関業者の倉庫で、ヨハネスブルグに搬送する順番を待つこと3週間、ようやくヨハネスブルグにやってきたのです。

 早速翌日に、リフト車の点検を行いました。特に目立った問題もなく、リフトなどもきちんと動作してくれました。

 これからは、運輸局での仮登録、車両認識番号の取得、強制基準局の実地検査を経て、本登録となります。登録が済めば、保険やら盗難対策のGPS設置などをして、ソウェトで実戦投入となります。

 今回のリフト車寄贈は、中古車両を寄贈してくださった世田谷ミニキャブ区民の会様、車両集めに奔走してくださった東京ハンディキャブ連絡会様、手続きの間、リフト車を保管・管理してくださった八王子バリアフリーの会様、日本側の輸出手続やリフト操作マニュアルの翻訳をしてくださったヒューマンケア協会様など、多くの方々のご協力により実現しました。この場を借りて感謝申し上げます。

フロントガラスには横浜から積み込むときの指示書きが
まだ残っていました

8万キロの走行距離は、南アではまだ古くありません
リフトや固定ベルトもきちんと動いてくれました


JICA年次報告書2017に紹介されました

 国際協力機構(JICA)が毎年発行している「年次報告書」の2017年度版がウェブ上で公開されました。





 毎年、NGO等との連携についても報告されていますが、そこに事例として1つか2つの事業が紹介されます。聞いたところでは、ちょうどその年に終わった事業とか、継続して新しく再スタートを切った事業とかが紹介されるそうです。

 今年は、今、南アフリカで宮本が担当している事業が事例として紹介されました。下のリンクからPDFを開いていただいて、89ページにあります。短い記事ですが、ぜひご覧ください。

2017年9月26日火曜日

セボケン地区、エヴァートン地区でもサポートグループの準備 (2017.09.15)

 2016年に、JICA課題別研修「アフリカ地域 障害者の自立とメインストリーミング」に参加して、日本とタイにやってきた、ピート・モフォケンは、自分の住むセボケン地区で自立生活センターを作っていきたいという計画を作って南アに帰国しました。

この日のピート・モフォケンは、
タイで買った帽子をかぶっていました

 それから1年余り、少しずつですが準備が進んできています。

 もともと、ピート・モフォケンがグループホーム(こちらのグループホームはSelf Help Centreと呼ばれていて、障害者自身が自主管理・運営をしています。行政上はAssisted Living Facilityと呼ばれています)に住んでいたこともあり、主に、グループホームから出発した自立生活センター「レメロス」から技術的な支援を受けています。また、セボケン地区などの障害者に食料を提供するなど、この地域をカバーしているグループホーム「シャングリラ」も、障害者がどこにいるかといった情報やリフト車両を提供するなどの支援をしています。


この日の家庭訪問は、シャングリラによる食料配布と併せて行われました
シャングリラのスロープ車に積まれた野菜などの食料

 ピート・モフォケン自身は、レメロスが行っているサポートグループやピア・カウンセリング・ワークショップなどに参加して、今後自分がやっていくべき活動を学んでいるところです。

 この日は、延び延びになっていた家庭訪問でした。最初のサポートグループに参加してくれそうな候補者の家を3か所選んで、急ぎ足で回ってきました。

一軒目の家庭訪問は、口に絵筆を持って絵を描く頸損の方(中央)。
左は、シャングリラで地域へのアウトリーチを担当するジェームズさん

 3か所目の家は、エヴァートン地区にある障害者向け再開発(RDP)住宅が固まっている地域の一角にありました。そこの方は定期的に家の敷地を開放して、障害者の寄り合いを作っています。この日も、大勢の障害者が周囲から集まっていました。

障害者向けRDP住宅。少し大きめに作られているのと、
家の前にスロープが少し伸びているのが特徴
どの障害でも同じデザインの家になっていることや、
障害者向けRDP住宅ばかりを集める街づくりのあり方など批判も多い
この女性の家が地域の障害者の寄り合い場となっていました
周囲から大勢の障害者や家族が詰めかけました
この地域の教会の牧師さんも年老いた障害者の方で、彼の教会で今後サポートグループを実施することになっています。最初は、レメロスのピア・カウンセラーのモニカがサポートグループのリーダーを務めて、徐々にピート・モフォケンに引き継いでいくことになります。

中央が牧師の方

虹の国の手術室は、やはり虹でした

 南アフリカって、どんな国? という問いに、よく聞かれる答えに 「虹の国だよ」 というのがあります。  虹の国、Rainbow Nation、とは、アパルトヘイト終了後の全人種参加の総選挙後、大統領に就任したネルソン・マンデラが1994年5月10日の就任演説で使った言...